宇佐美りんによる第164回芥川賞受賞作。
私の身の回りにも、”推し”という言葉を使う人は数名いて、
その対象は男性アイドルであることが多いです。
同僚や友人からその推しについての熱弁を聞くのは、
存外楽しいんですよね。
恐らく言葉の熱量に話者自身の懸けているものを
感じるからだと思います。
私にも大好きなスポーツ選手や俳優はいますが、
どうも、推しというのとは違う気がします。
例えば、その選手が活躍すれば嬉しいし、衰えを目にすると我が事のように寂しい。
でも、同僚や友人の推す想いとも
この小説に書かれている感覚とも多分違うのです。
きっとファン心理とは少し違うものが推すという行為にはあるんでしょうね。
自らの何かを懸けるような切迫感があるように感じます。
昨今よく耳にするようになったこの”推し”という言葉ですが、
数十年前から存在する宝塚歌劇団の熱狂的なファンの方にはこの推す感覚がありますよね。
歌舞伎ファンの方にも推すという行為があるように感じます。
そう考えると、実はここ最近になって起きたムーブメントではないのかもしれません。
理解、共感、隔絶感などなど、それらが渾然とする中で一気に読み終えました。
主人公には魅力を感じないが彼女の”推し”には心惹かれるものがあります。
それは、きっとこの小説の内容からすれば、それはとても自然なことだとも思うのです。
この現代的でありながら伝統的な部分もある、
推すという文化を題材に、高い熱量で書き上げた作品には、
独自の魅力がありました。
最後に、紙の本好きとして一言。スピンが青なのがとても良い!
電子書籍の時代に敢えてハードカバーを手に取る理由には、こうした装丁のこだわりもありますよね。