第170回芥川賞受賞作。
パラレルな未来の東京が舞台だけれども、
その東京は想像し得るものです。
ザハ・ハディドの設計した国立競技場が実際に建てられた景色。
きっと多くの方はあの完成予想図を覚えているのではないでしょうか?
タイトルの東京都同情塔とは、
そのザハの競技場と調和する形で建てられる、
シンパシータワートーキョーのことです。
通称が東京都同情塔となるあたりの、
言語と心情の触感や質感を巡るような記述はとても共感できるものですが、
とはいえ、世の中には「シンパシータワートーキョー」的な響きの名称が溢れているんですよね……。
この作品に書かれているような、脳内あるいは時に口から放たれる形で
自分の中の論客や校閲者が激しく躍動する感覚、理解できる気がします。
私もそんな時があって、とても疲れてしまいます。
この校閲者がいないと、きっと行く先々で軋轢を生みだして
あっという間に独りになるのだと思うと恐ろしくもなります。
そういったこの小説の醍醐味といっても良い部分を踏まえて、
個人的には町田康や古川日出男の小説に馴染んだ方にお勧めしたいです。
小説や日本語に関心がある方以外にも、建築に興味がある方も楽しめそう。
この作品の一部が生成AIを使って書かれたということがクローズアップされ、
時にはまるでAIに文学が駆逐されるかのような煽情的な報じられ方も目にしましたが、
私がこの小説を読んだ感想は全く異なります。
この小説は生成AIというものを組み込んでいる、
敢えて主語を大きくしますが、文学が生成AIを内包しているのだと感じました。
読むとわかります、生成AIの使用はこの小説の世界を構築するための一要素のはずです。
この先どういう時代が来るのかわかりませんが、
AIの書いた小説が芥川賞を獲得した、という誤解を与えるような記事の書き方は、
言葉を生業にする記者としてどうなのだろうかと感じました。
すいません、ちょっと話がそれましたね……。
日本語という言語、言葉についても考えさせられる作品ですので、
気になる方は色眼鏡なしで読んでみてほしいと思います。