発売予定直前に版元から各書店に回収通知が出され、多くの人の手には渡らなかった小説。
当然、作者の意に沿わない顛末ではありましたが、回収し切れなかった本もありました。
樋口毅宏の著作を何冊も読んだ者として強い興味を持っていましたが、
偶然、読む機会を得ました。
中野正彦なる人物の日記がメインとなりますが、
その日記には新聞報道、雑誌記事、他人のツイート等がスクラップ帳のように散りばめられています。
まるで言葉の渦に飲まれるように、中野が取り込む偏った思考や思想、中野の過激な反論や自説が
流れ込んできます。
しかし、間違いなく認識していなければならないのは、
これらの日記は樋口毅宏のものではなく、中野正彦によるものだということ。
小説における語り手という機能や装置をしっかりとらえることこそが、
小説に親しむ第一歩ですが、往々にしてこの辺りが理解できていない読者はいます。
村上春樹が機内でビートルズのあの曲を聴いたわけではないし、夏目漱石が実は猫だったわけでもない。
そんな自明のことが、一人称で書かれた小説だと誤解されてしまうことは意外と多いです。
中野の思考は樋口毅宏のものではなく、中野の言動が正当なものであるといった書き方はされていません。
それどころか小説全体が中野の存在を蔑むような憐れむような、
何より突き放している印象すらあります。
そのことは樋口毅宏という作家のことを知らずとも、読めば理解できることだとは思います。
別人格だからといって卑劣な思想信条を代弁させているわけではありません。
この本が広く読まれるのに適したものかは判断しかねますが、苛烈で力強い作品ではあります。
それ故に、印象に残るのが過激な言葉や場面になってしまうところもありました。
実在の人物を揶揄したような表現が頻出するのも、
私にはストーリーを追うことを阻害されたような感覚に陥ることがありました。
樋口毅宏の長年の読者としては、彼の作品をどれか読んでみたいという方には「さらば雑司ヶ谷」、
過激な作品を望まれるならば「日本のセックス」を薦めます。
話題になったからといって、この本をまずは薦めるというのは違和感がありますね。
さらば雑司ヶ谷(新潮文庫) 雑司ヶ谷シリーズ 日本のセックス (双葉文庫)膨大なエネルギーを持つ作品であるのは間違いないですが、
これを読んで不快に思う方がいるのも当然のことだとは感じます。
ただ、フリマアプリ等で定価以上の値で買わねばならない現状が変わって、
読みたい人が他の小説を読むのと同様の手段で手に入れられると良いですよね。
身も蓋も無い言い方をすれば、この著者の作品では他の作品の方が面白いです。
この小説について、読書行為や評価が作品以外の事柄に左右されることになってしまったのは、
残念ですね。