シティポップが流行ってるという話はちょこちょこ聞きますよね。
私にとっては大瀧詠一さんのイメージが強いですね。
あとは、山下達郎さんに大貫妙子さんとか。
なかなか難しい括りで、アンチシティポップの姿勢で名作を生みだした佐野元春さんは、
大瀧詠一さんに信頼を寄せていたりもしますよね。
代表的とされるミュージシャンたちがシティポップをジャンルとして意識して
音楽活動していたというわけでは無さそうですし……。
そんなシティポップの”シティ”という響きに訳通りの都会性よりも田舎っぽい憧れを感じるのは
私が北海道出身だからですかね。
思えば”渋谷系”という括りにも北海道から漠然とした憧れを持っていたものです。
とはいえ、そういった認識のズレや範囲のブレがジャンルの曖昧さや遊びを生むのは
日本的で良いことだと思います。
さて、この短編集もいわゆるシティポップ的といえば、なんとなくそんな気もしますが、
収められている短編は様々な作者によることもあって、かなり色合いに差はあります。
シティポップの時代に生まれたある種の傾向を持った作品たちという感覚。
この辺りのセレクト理由については、巻末のライナーノーツにて詳しく語られています。
この後書きにあたるような部分がライナーノーツとされているのが良いですね。
洋楽の日本盤を買うと付いてくる、訳者や音楽評論家たちの独特の文体、
あの雰囲気を思い出しました。
この短編集って、オムニバス盤のような気持ちで読めるんですよね。
通底するものがある気はするけど、やっぱりミュージシャンによって曲の魅力はそれぞれ。
同様に作家や作品によって、魅力はそれぞれ。
でも、それらがセレクトされた理由については何となく納得できる。
収録作品の中で一番面白く読んだのは川西蘭「マイ・シュガー・ベイブ」。
シティポップという観点からすれば、ド直球の題ですね。
人生の意味に懊悩したり、他者との関係性に深く傷ついて自己の在り様が崩壊しかかったり、
小説というのはそういったものばかりではない。
こんな風に敢えての軽妙さ、素っ気無さ、刹那的な感覚、キラキラとした瞬間の切り取り、
そういったものも小説たり得るのだと改めて教えてくれる短編集だったと思います。