男性が女装を好むということと、同性が恋愛対象であるということはイコールではない。
このことは知られてきているとは思うが、同一視されてしまうことも多いのではないでしょうか。
かくいう私も、バラエティ番組の影響で、同一視した上に類型的に見てしまっていた頃がありました。
テレビでよく見る女装家の方々って、同性が好きで、尚且つ毒舌キャラで、
話し言葉もいわゆるオネエ言葉、こうしたイメージが強いですよね。
きっとわかりやすくキャラクター化されているのだと思うのです。
それがメディア側の事情なのか、本人の戦略なのか、視聴者の潜在的な希求なのか、わかりませんが。
でも、本来は女装を好むことと、恋愛対象と、性格の傾向と、語調ってのは全く別の事柄ははずですよね。
実際に、私の知り合いでも、毒舌とも女装とも無縁のゲイの方がいます。
さて、本書の主人公は女装を好むが、お気に入りのデリヘル嬢がいる男性です。
で、明らかに性欲の対象は女性。
この主人公の女装のモチベーションは、違う性別の自分になりたい、
自認している性別になりたい、といったものではなさそうなんです。
美しく在りたい、自負している美しさを見せつけたい、こうした欲求だと思われます。
その発露が女装という行為であるだけ。
しかし、世の中のバイアスや偏見がそれを許容しないことも理解しているし、
実際にそうした悪意が彼を肉体的にも精神的にも痛めつけることになります。

主人公が無垢というわけでもないし、
抱える欲求がシンプルというわけでもありません。
共感できる部分もあるし、共感し難い部分もあります。
女装という目立った嗜好があるだけで、ごく一般的な若い男とも言えます。
女装の部分を古着に変えてしまえば、そこら中にいる青年です。
でも、この目立った嗜好が古着でコーデを固めたい、ハイブランドとユニクロをミックスして上級者ぶりたい、
そんなファッションと自己演出を巡る趣味とはどうにも異なるということも
この小説からは伝わってきます。
理由もあるし、変遷もあって、逡巡もあるのです。
作者と作品は可能な限り、切り離して考えるべきだとは思います。
そして作者の血縁は、作品と全く無縁なものとして読みたいとも思っています。
でも、私のような中年のバンド好きにとって、
作者である遠野遥氏の父親がBUCK-TICKの櫻井敦司氏であることはどうにも頭から消し去りがたい。
櫻井敦司、あっちゃんといえば、日本のミュージシャンの中でも屈指の美しい容姿でした。
そんなあっちゃんのご子息が書いたデビュー作が美しさに関わる小説であったということには、
大きな意味を感じざるを得ないのです。
過激で暴力的な描写があり、誰にでも薦められるという本ではありません。
でも、純文学の魅力が強く感じる、鮮烈な輝きを持つ作品です。
特にBUCK-TICKに対し、何らかの思いがある方には読んでみて欲しい小説です。
