これは随分と若々しい小説でした。
その若さを良い意味でだけ受け取るには、私はもう年齢を重ね過ぎているのでしょう。
永瀬廉の主演で映画化もされている本作、発売当時はよく書店で平積みになっていたと思います。
中盤までは燃え殻「僕たちは大人になれなかった」の読み心地に
森見登美彦「夜は短し恋せよ乙女」の香り、といった感覚。
時代性を感じさせる固有名詞の頻出と、奇妙なサークル活動という面では、
これに近い感想を持つ読者は多いのではないでしょうか。
さて、ではその例に挙げた二作品が私にとっては若々しいのかと言えば、そういうわけでもなくて、
前者は青春の回顧という構図なので青臭さは狙ったものであり、
裏を返せば若々しさは取り戻せぬものという意図を内包しています。
後者はアニメーションにもなったことでも明確でしょうが
際立ったキャラクター付けと
作者が京都というこれまた際立った舞台を存分に扱えるという武器を有しているため、
青臭さよりも戯画的な部分に魅力があります。

では、この作品はどうかと言えば、いわゆる「こじらせ」た露悪性が激しく、
それが狙ったものだとしても、その青っちょろい悪意を楽しめるかどうかは、
読者の度量よりは、日頃、直面する責任や社会性によるのではないかと思うのです。
社会に世間に他者に苛立ち、不満を持つことは常にあれど、
それをどう解消するか抱え込むか、ぶつけてしまうか、そういったことにも頭を悩ませるのが大人なのでしょう。
だから、こうも短絡的に、そしてそれを高い理想があるようにぶつける姿を見ると、
あまりの青臭さに距離感を覚えてしまいます。
狂信的な存在も懐疑的な存在も、利用する側も諌める側もいて、
多面的に作中で真夜中乙女戦争が扱われるのならば面白味を感じたでしょうが、
残念ながら役割を担えそうな大人は書き割りのように配され、唾棄すべきものとされています。
小説として明確な方向性があり、世界観の構築にも成功していると思いますが、
その構築物に中年の私が入り込むべきではないように感じました。
ストーリーとしての魅力はあるのでしょうが、
その魅力を手放しに喜べるほど読者として若々しく在ることは出来ない。
そんなことを実感した小説でした。
時に小説は読者に年齢を忘れさせるとは思うのです。
ただ、重ねた年月を感じさせることもありますよね。

