• 四十代夫婦が綴る書評と雑記

猫を棄てる 父親について語るとき (文春文庫)

村上春樹が、長い間、疎遠になっていた父の死を契機に、

父子の関係性や父の生涯について書いた名エッセイ。

一定の距離感や公平性を保ちつつ、時折、私的な思いが垣間見え、

その塩梅やバランス感覚がとても好ましい。

これはごく個人的な話になりますが、私も数年前に父を亡くし、

心に悔いのようなものがあります。

村上家のように疎遠だったわけではありませんが、

父に対し、成すべきことを成せなかったのではないかとの思いは

きっとこれからの人生でも消えずに心に残っていくのだと感じています。

程度の差や、傾向の違いはあれども、誰もが親子の関係に少なからず悩みは持っているはずです。

このエッセイがその悩みを即座に解決するような類の作品ではありません。

啓発本でも実用書でもないです。

しかし、端正な文章で理知的な姿勢を保って、父のことを書くその試みは、

読者である私に小さな救いと温かみを胸にもたらすものでした。

「やれやれ」に代表されるような世間がイメージするような村上春樹の文体というのは、

作家の一つの側面に過ぎず、必要であるから紡がれる部分です。

実際には公平性と社会性と個人性が混ざりあう美しい文を書かれる作家です。

2023年4月には待望の長編小説が刊行される予定ですが、

大作には少し身構えてしまうような方には、

まずこの短くも独立した魅力を持つ「猫を棄てる」をお勧めします。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です